一年後の自分へ
こんにちは。27歳の私です。仕事だらけの日々の中で迎えた誕生日以来、ずっと自分を28歳だと思っているので、27歳の私はいないのかもしれません。
最近1年目にあった仕事の色々や、去年の些細な出来事などをよく思い出します。おそらく血を見る日が続いているからでしょう。実は夏休み明けの8月29日にこれを書いています。夏スクが始まる前くらいに届いてほしくて、初めて日付を恣意的に設定しました。
夏休み明けすぐに、うちのクラスの女生徒が腕にリスカの跡を残して登校してきました。彼女は今どうしているでしょうね。問題行動の多さはSOSの証でした。毎日毎日、母親のいないその子の母の代わりとなるように、そう願いながら若くて不器用な私は彼女に寄り添い続けました。翌日に他クラスの女子が眉にピアスをして現れ、また家族の課題が山積する両者でもあり、そんな中で行った面談での内容は痛ましいものでした。
様々なことが思い出されます。1年前の夏休み明け、生理でパニックになり椅子から立ち上がれなくなった女の子を、男性教員がクラスの男子を別の名目で呼び出している間に介抱したこと。コロナ禍での体育大会の入場で、小さな男子生徒とマスク無しでいーっ!と歯を見せていがみ合って笑ったこと。制服も持たない女の子が、私を頼って平日の学校に飛び込んできてくれたこと。その子に自分の分の給食も全て食べさせたこと。保護前には何も与えられなかったから、私なりの罪滅ぼしでした。サッカー部の男子生徒が突然倒れ、その拍子に頭をぶつけて切ったこと。寒いと震えるその子を救急車が来るまで毛布ごと抱きかかえて温めたこと。どんどん冷たくなる指先と震えるその子の頭がとても小さく見えたこと。親の離婚と母親の病気に苦しむ子どもが助けを求めてきたこと。かまって欲しがる生徒は、あとから聞けば父子家庭であったこと。子どもの善性に胸を突かれ、自身の矮小さに嫌気が差したこと。子どもたちのひたむきさに感動して涙を流した引退試合。集中とは目に見える形で私達の前に現れるのだと、私はこの時初めて知りました。部活動で毎日毎日怒られて、練習着にも着替えずに制服姿で寒空の下固まって相談する男子生徒たち。
彼らは学校に集まりながらも、それぞれの戦場を生きていました。素敵なこともたくさんありました。しかし最近は、私達は子どもたちと一緒に地獄にいることを選んだのだと、何かを背負うような、悲痛な思いが胸を駆け巡ることが増えました。ここらが潮時なのだと思います。これ以上ここにいたら、私はここから立ち去れなくなり、ここで潰れてしまうでしょう。持ちこたえ、支え続けることができるほど、私は人として成熟していませんし、私をバックアップしてくれる存在もいませんから。でも、できることならこの現状を何かの形として残せたらと思いました。けれど、今の私には具体的なものが浮かびません。ですから、懐かしいなと思ってこの思い出たちを少し眺めてやって欲しいと思います。
別の形で、別の土地で、この先も教師をするという考えがずっと頭の中にあります。こんなに辛く苦しいけど、やはり教師は素晴らしい仕事なのだと思います。でも私は辞めます。この決断に間違いはありません。だから、懐かしむことはしても、あの頃あの学校に戻りたいとは絶対に思わないでほしいと思います。彼らは卒業し、前を向いて進んでいきました。私も前を向き、振り返ることなく進んでいくべきなのです。
私は勉強がしたいです。突き詰められなかった私を乗り越えたいと思っているからです。慶應通信に入学しました。半年でどれだけできるのかわかりません。お金が許すのであれば、正社員でなくとも、単発バイトでも編み物でも、不安定に稼ぎながらでも納得いくまで勉強してほしいと思っています。私が働ける最低のラインは、あの素晴らしい教職です。私はいつでも授業ができますし、すぐに子どもたちとも仲良くなれますよ。夏休み明けすぐの私が言うのだから間違いありません。2024年の全国学力テスト、うちの学校では国語が一番全国平均と比較しての成績が良かったでしょう、私は結果を出すことができていました。だから大丈夫です、自信を持って下さい。
軽やかに、踊るように生きていきましょうね。夏スクがんばってください。私はまだまだ変わることができます。一生かけてでも、優しく強い人間になることを目指しましょう。またね。