消印

一年後の自分へ

残暑どころか猛暑が一生終わる気配もない、くそ熱い真夏の晴れの日に、私はこれを涼しい部屋の中でなんとなく書いている。
気持ちが特に盛り上がることもない。興味が引かれるなにかがあるわけでもない。ただ都合よく、楽に暇つぶしできそうなことを探しては脳死で作業ゲーをしたり、YouTubeを見て過ごすことを求めてしまう。
そして結局、何かイベントが起こるわけでもない無の時間を過ごすだけ過ごしてから、その充実感の無さとあまりの空虚さに、時間の使い方への後悔と焦燥感に苛まれることになる。その嫌な感情から目を背けるように、また意味がないけど意識を向けられる作業へと逃避をして、自分の愚行を見ないふりをするかの様に眠りにつく。
何がしたいのかよくわからない。自分ごときに何をできるのかもわからない。だけどこの生活から飛び出したいという感情だけは、事実であるようだ。現に今の生活に満足できているのなら、おそらくこのように思い悩むことも危機感を感じることもないだろうから。

ある人は言った。正しく絶望することが大事なのだと。絶望することのない人生に、大きな成長はないのだと。絶望から脱したいからこそ、自分はどうすべきかを考えるし、成長しなくてはならなくなるのだと。
私はまず、絶望しているのだと思う。自分の無力さ、何をしたいのかわからない先の見えなさ、自分の願望をかなえられないと思い込んでしまっている不甲斐なさ。世の中の不条理さ。自分のままで過ごしていても簡単に社会に受け入れられないだろうという感情。自分の普通が、一般論と言われる枠に通用しない事。
ただそんなことは、自分に限った話ではないといことはよく理解している。きっと世の中の多くの人も、人生で一度はそんなことを考えるんじゃないだろうか。

そんなことはいいか。さて。
私はこれからどうしていくべきなのかをこの3週間くらい考えてみたけど、やっぱり思いつかない。まずは何事にも興味関心を抱けない心を治療しようと、生活習慣の改善を試みたけど、これがまた長い戦にになりそうなことを今まさに痛感しているかもしれないということに、これを書きながら気が付いた。今ここで気持ちを整理するまでは、結局ルーティンやスケジュールを細かく作成したところで、私はそれを達成することはできないし変われないと悲観してた。
そもそも、今まで長年出来なくて悩んでいたことを、そんな簡単に達成できる方が珍しいのだ。今はまだ挑戦中で、また試行錯誤して徐々に出来るようになっていけば問題ないから。たった数週間でできなかっただけで、そんなことで自分を責めるというのは、少し冷静さを欠いているように思う。

一か月後、たったの一か月で私の心境がどうなっているかなんて今の私に予測はつかないが、君の今の心境はどうだい。
一か月後の君ですら、やっぱり自分の気持ちなんてわからないままかな?それが妥当かもしれない。だけど少しでも、何かしら違う心境が生まれたのであれば、ぜひ教えてほしい。どうかただ、幸せでいてくれたら嬉しいけどな。私が君を親友だと思って言葉を選ぶなら…
細かいことなんてどうでもいい。世間的に豊かかそうじゃないかなんて、うまくいっているのかいっていないのかなんて、私にはどうでもいいや。
大切な君がただ、苦しい思いをしないで生きていてくれたら、それだけでいいや。そこにただ、君が生きていくうえで小さくてもいいから、何か幸せを見つけられることに出会って、それをしながら生きていたら、何よりもうれしいと思う。
ただ、お前らしく生きてくれ。私も私なりの速度で頑張ってみるから。
一個ずつでも、些細なことでも積み重ねていくことだけ、ここで約束させてほしい。
じゃあ、これからよろしくな。親友。