自由丁店長とオーナー、そして、一年後の自分
「自分の速度で情報を理解する」を聴いて
この手紙は、自由丁FMのヘビーリスナーのおさかなが、ちょうど夏休みで、ぼおーとラジオを聴きながら、ふむふむとメモを取り始めてしまい、それを勝手にまとめて(しかも勝手に見出しまで付けて)、コメントを付して、その挙句、感想まで書き連ねたものの、長文となってしまったがためにレターやコメントにも出せず、行き場のないテキストとなってしまったことから、その供養に悩んでいたところ、そうだ店長とオーナー、そして一年後の自分宛の手紙として投函してみてはと閃き、この冒頭部分を追記して手紙という体裁にしてみた次第であります。
なお、まとめと言いながらも、かなり主観的になっており、コメントも何様だよという感じですが、夏休みにどこにも行けなかったおっさんによる悪ふざけとご理解いただけますと幸いです。
○そもそも
新しいことを始めるのはきついこと。楽するために習慣化する。習慣としてのアウトプットがあって、インプットがある。書く、話す、投稿するといったアウトプットは習慣(する必要のあること、しなければならないこと)がないとできない。インプットは無限にできてしまう。それに制限を設けるためにアウトプットという工程を設える部分もあるんじゃないか。
■コメント→目的のないインプットほど辛いものはないです。本を読むときでも、何らかのキーワードなり引っかかるポイントを控えておかないと読みきれないことが多いです。アウトプットをセットにしておくと、何かにフォーカスすることになるので、理解度も増しますよね。活字にすると頭の整理にもなるように思います。
○SNSとの関係
SNSは互いに干渉し合うもの。人に見られることが強制される。マウンティング合戦になる可能性もあり、そこに参入したくない人がいるのも当然。だから聞き専、見る専が生まれる。
情報源は本、インスタ、Twitterなど。オーナーは最近、FacebookとTwitterはつまらないため、もうほとんど見てないそう。かつて情報収集が大事と思った時期があって、最新の情報は追わないといけないと思ってた。逆に変わらない情報は深ぼっていけば出会えるから追わなくていい。けど、SNSは追えないというか、追いきれない。積極的に追わない。眺めるものなんじゃないか。
■コメント→面白いなぁ。凄くありがたい視点。SNSって僕みたいなアナログなおっさんからすると、意識の高い人たちによる情報発信と収集のツールにしか見えてなくて、あれに波乗りできない自分は今に取り残されてるなぁ、どうしたものか、長らくまあいいかと思っていましたけど、立場上、えっ、あなたこの情報知らないの?ってシチュエーションもあったりして、結構それが怖くて、少し見るようにしているのですが、いまだ全然身体感覚にまで落とし込めていません。
○情報の選り分け方
目を養うのが大事。自分にとって大事な情報がわかってないとできない。
アウトプットしたい人はこうなれたらいいなって思うことがあるのでは?スタエフもいいラジオにしていきたいとしたら、プロに近づこうとなる。何を自分がいいと思っているか。店長にはオーナーからこれ読んで翁とTwitterやインスタで投げてくる。こういういい情報をくれそうな人と仲良くなるのはあり。
■コメント→僕は二十歳から勉強を始めたようなところがあるのですが、その時から心がけていたのが、人がやっていることで凄いなと思う事を実践したり、尊敬している人がしていることを真似てみたりするということでした。自分で自分を育てる感じです。できないことの方が多いわけですが、できたことも少なからずあって、それらが少しずつ自分のものになっていったように思います。当初は周りと比べて劣等感が強かったのですが、人に目がいってる段階はまだまだで、色々と追い込んでやっていったら、次第に人なんてどうでもよくなって、自分が本気でどうしたいかを考えて取り組むようになって、それから強くなったなと思います。経験が増してくると、世の中のからくりもわかってくるので、その辺のことも作用したかもしれません。他人の目に対して興味関心がなくなって、雑音が消えた頃というか、そのあたりから自分らしさと言えそうな部分が芽生えてきたように思います。何より、今頭に浮かぶら凄いと思う方々と巡り合えたことは、僕にとって財産です。
○情報との距離
情報との距離感。遅いインターネット。追いかけることに価値がある人記者などの職業人はやるべきだけど、そうじゃない人は追う必要があるのか。自分にとって価値のある情報、イコールそれは果たして最新の情報なのか?情報との距離感のセンスがいい人は、流れいく情報を街並みのように眺めているんじゃないか。その練習として本はいいメディア。完結している。読むしかない、理解するしかないけど、理解するまで待ってくれる。SNSの作り自体が、深掘りする作りになっていない。あくまでコミュニケーションツール。流れて消えていくもの。
■コメント→ここも本当に面白い。情報は流れていくもので知識は蓄えるものですね。その中からどれだけ掬いあげればいいのかは悩ましいところです。けど、情報が氾濫(この表現も古い)してるってもう長らく言われているわけで、全てを把握してる人なんているわけない。SNSを街を眺めるように見るという比喩もとても分かりやすい。そう言ってくれることで救われる人が多いと思う。言葉の重みは人によって受け取り方が様々。調べようと思えば調べられちゃう。けど、調べ方っていうのはその人の癖に依存するし、出てくる情報の順番も決してニュートラルではないから、SNSに限らず、あらゆる情報の接し方についても、まず眺めるってことから始めるに限るなと思いました。
○情報源どこすか?
どこから情報得てますか?オーナー、得てないよぉ(笑)興味関心とセンスが大事。センスの磨き方。感受性の豊かな人はセンスがいい。多角的に物を見られる。機能だけで判断しないとか。たとえば、ユニクロの白ティーをいかに着こなせるか。感性豊か、想像力豊か。妄想力があること。
オーナーは情報を生活から得ている。物知りみたいなキャラになってるけど。疲れるけど、いろんなことを間に受けて、調べまくる。それで良し悪しを判断する。好奇心旺盛で真面目な人ならそうじゃないか。
■コメント→興味関心とセンス。いい答えだと思いました。センスっていう部分、これ磨けるものだから、生得的なものではないわけで、それこそセンスの良い人から見て学ぶことができますよね。ユニクロのTシャツを例にしていましたが、それは一つのものを見て、あらゆる角度から別の情報を知覚できるかどうかってことかなと思い、この辺もセンスなのかなって思いました。想像したのはシャーロックですかね。あんな風になんでもお見通しになれたらと憧れます。僕は細部まで考え抜かれているものと出会うと、毛細血管が張り巡らされている(それくらい体感できないものまで知覚してるっていう意味で)とか言ってしまいます。
○改めてインプットとアウトプット
SNSはマウンティング合戦。心地よいのはインスタくらい。きれいな物をみるもの。その基準を磨くためのインプット。めちゃくちゃ調べる。自分って一つのことから色々と学ぼうとするタイプ。たとえば、ダンデライオンチョコレートのこと。サンフランシスコで行った。観光で終えられるのに、こういう仕組みで、こういう歴史があって、それで日本にまで広がってとか、なんでWi-Fiつながるのかとか、そういうのを考えて調べてしまう。他の人は、あんまりそういうことを考えならしい。
■コメント→インスタは綺麗なものを眺めるもの、なるほど。そのようなツールとわかって、ホッとしました。投稿したいという気持ちも湧かず、そのための目的作りというか、動機付けもできなくて、そもそも写真は撮ってもシェアしたい(この感覚が年だからかあまりわかってない)という気持ちになれずにいて、完全に見るためにアカウント取ったくらいだったので、安心しました。
○小山流情報整理術
オーナーは色んな情報に触れていると思っていたけど、そうではなく、一つのことから深掘りするタイプ。
情報との距離感の取り方についてはうまくできている。
実は情報は追いかけてる方が楽。お店これからどうしようとか。自分のスタンスを考える方が大変。情報と人と付き合う理由は?考え続けること、それは大変だけど大事なこと。
■コメント→僕が恩師から学んだことの中で一番大事なこと、それは考えることでした。最も大事なことだと思います。自分で考え抜いた結論は揺るぎないです。考えることに終わりはないため、どこまで考えたらいいという答えもないのですが、というか、それを決めるのも自分次第なので、時にやりすぎてしまうこともありますが、ある程度、経験を積むと考え方(型?)が身につき、デフォルトで考えるようになってしまうと思います。考えるのをやめると非常に楽できると思うのですが(もはやその状態を想像できず)。
○行動=アウトプット?
店長的な解として、アウトプットは行動じゃないか?と。オーナー曰く、行動は結果であってプロセスではない。行動しなきゃは結果だろうか?アウトプットは行動起こす前の行動なんじゃないか。結果、行動しなくてもいいじゃん、アウトプットしなくてもいいじゃん、そう思わなくていいじゃん。トライアンドエラーしなきゃってなってるけど、ただ思ってるだけでいいんじゃん。声を大にして言うのは恐怖心と守るため、マウンティング合戦になるから。寡黙な人で人にある問題を問われた時に、自分の考えをきちんと示せる人であることの方が大事。
■コメント→締め括り方が素晴らしい。自分で考えること、焦らず考えること、大事です。自分の考えをきちんと伝えられる力があればいい、本当にその通りだと思います。ただ、一方でアウトプットする経験を通して学ぶこともあります。書き手になって理解度が増したこともあります。なので、アウトプットしなきゃじゃなくて、アウトプットという経験から得られるものを考えるためにやってみるくらいの気持ちで付き合ってみてもいいのかなと思います。というのも、この世の中に溢れている情報は、誰かのアウトプットなので。
○感想
オーナーは、色んな情報に浴していて、それをうまく捌いているタイプと勝手にイメージしてたけど違いました(すまんです)。
日常生活から入ってくる情報と向き合って(付き合って?)、そこから色々と深掘りするということですが、オーナーの興味関心の抱き方というか、問いの見つけ方(これもセンス)は一朝一夕に養えるものではないと感じています。見つけて、徹底的に調べ、人に伝えることまでできるのは、凄いことで簡単じゃないです。
周りの人が何を言ってるか気になって仕方のない若い頃は、誰々が何を言っているとかそういうのをより多く知ってる人が物事をよく知ってる人に見えるのですが、実際のところ大事なのは、自分がある問題に対してどう考えてどう解決策を導き出せるかの方が大事なんですよね。僕はSNSの使い方がよくわからず、自分の生活にどう位置づければいいか、使いこなせる自信がなく、また、そこに載っている情報も結局は探して見つけているので、完全に受動的になく、それじゃあ自分の視野から外れている情報を得られていないよなと、いまだどう接していけばいいのか考えあぐねています(初期の渋谷ナウとかが懐かしいです)。基本的に誰々が何かを言っていても、あーそうなんですかくらいで、逆に知らなすぎて立場上やばいって時もあって悩みの種でもあるのですが。
基本的に、情報が膨大すぎるので、どこにどんな情報があって、どうやったら取り出せるかわかっていれば、それでいいかなと思っています。
ただ一方で、取りこぼしている情報の中に、自分にとって非常に有益だったものが通過してしまっているんじゃないかという不安はあります。眺める上での勘所は鍛えていかないとなと思います。
はい、ということで、めちゃくちゃ長い感想文となってしまいました。今回の配信もとても面白かったです。一夏の思い出になりました。感謝。
おさかなさん